いつまでも若々しくダンディな藤岡弘さん!
俳優はもちろん、タレント・武道家・声優・歌手・探検家など色んな顔を持っています。
そんな藤岡弘さんの若い頃って、気になりませんか?
そこで今回は
- 藤岡弘の若い頃のダンディ画像!
- 藤岡弘の超極貧生活からの逆転ストーリー!
をお伝えします。
藤岡弘の若い頃のダンディ画像!
では藤岡弘さんの若い頃を見ていきましょう!
10代
藤岡弘さんの俳優デビューは香山美子さんと都はるみさんの主演映画「アンコ椿は恋の花」です。
こちらがデビュー当時の19歳の藤岡弘さん
眉毛が凛々しく、とてもダンディです!
20代
藤岡弘さんといえば、1971年(当時25歳)から始まった「仮面ライダー」!
主人公・本郷猛(ほんごうたけし)役で出演し、大人気のスター俳優になりました。
もう藤岡弘さんが出来上がっていますよね!
次は1973年の映画「日本沈没」での藤岡弘さん(当時27歳)。
この映画では主演を務めました。
顔面が濃すぎて最高です!
こちらは1974年のドラマ「白い牙」で主演の藤岡弘さん、当時28歳。
この貫禄で28歳は驚きです!
元刑事で悪党をやっつける主人公の生き様に共感したという藤岡弘さんにピッタリの役柄でした。
30代
続いては30代の藤岡弘さん、やっぱりダンディですよね!
この頃は、刑事ドラマ「特捜最前線」に桜井哲男役とし10年間も活躍しましたが、こんなに貫禄のある刑事なんていません(笑)
こちらは大河ドラマ「おんな太閤記」で織田信長役の藤岡弘さんですが、こちらも貫禄たっぷりで雰囲気があります。
とても35歳には見えません・・・50代って言われても違和感なし。
次の画像は1984年のアメリカ映画「SFソーキドル」で主演を務めた藤岡弘さん(当時38歳)。
この作品で国際俳優の仲間入りしました。
400年前に氷漬けされた侍が現代アメリカに蘇るという、かなり面白い設定の映画で、剣術も得意な藤岡弘さんに惚れてしまいます!
藤岡弘の超極貧生活からの逆転ストーリー!
今でこそ俳優やタレントなどで大成功を収めている藤岡弘さんですが、なかなかの波乱万丈な人生を歩んできました。
お父さんは警察官で全国でも有名な柔道家、また古武道「藤岡流」を継承する武道家でもあるスゴい人。
お母さんは茶道・華道・お琴の師範で、これまたスゴい人。
そんな両親なので裕福だったと思われます。
小学6年の頃に父が失踪し、超極貧生活に
しかし小学6年のころにお父さんがいきなり行方不明に、そこから藤岡弘さんの超極貧生活が始まりました。
お金が無くご飯もまともに食べられず、学校の給食費も払えない。
藤岡弘少年はお父さんが失踪した小学6年から、家計を助けるためアルバイトの日々。
惨めな生活をさせたお父さんを恨みました。
遊びたい盛りの頃に可哀想ですよね。
映画にハマり俳優に憧れた高校時代
高校生の頃に映画にハマり「俳優になりたい」という夢を持ちました。
高校時代、たった一つの楽しみであった映画の世界にだんだん引き込まれ、1日に4本も見るほどハマってしまった藤岡弘さん。
時代劇やハリウッド、ヨーロッパの映画など、多く映画を見て世界観が変わりました。
今のこの環境にいてはダメだ、もっと夢を持ち挑戦しないと埋もれてしまう
出典:こいもうさぎのブログ
こう思った藤岡弘さんは誰にも止められません。
俳優になりたい気持ちがどんどん高まっていきました。
多くの映画を見るためのお金はどうしたのでしょうか?
お母さんに頼ることはできません。
配達、電話線の配管、稲刈り、物売り、その他多くのアルバイトをして、唯一の楽しみであった映画代を稼いでいたのです。
高校を卒業する頃には俳優を目指し、上京することを決意。
まだまだ続く超極貧生活
地元で大学に行ってほしかったお母さんは、上京に反対しましたが、藤岡弘さんの決意は変わりませんでした。
上京後、無事に俳優養成所に入れたのですが、まだまだ厳しい貧乏生活は続く。
3〜4日間も食べれない時もあり、スズメを捕まえて食べようとしたこともありましたが、痩せほそったスズメが自分自身のようで食べることができません。
それでも捨てられた新聞などを見て、少しでも時代の波に乗り遅れないように必死でした。
また体を鍛えることも忘れません。
しかし多くのアルバイトでまともに眠れず、演技の勉強も満足にできていませんでした。
大物女優の父にスカウトされ運気上昇!
このままではダメだと思った藤岡弘さんは色んな資格を取り、効率良く稼げるようになって、やっと演技の勉強時間を確保できるようになりました。
そして、ついに藤岡弘さんに転機が訪れる。
ある日、バイトをしている時に桑野みゆきさん(当時、松竹のスター女優)の父にスカウトされたことで運気が上昇!
松竹映画でデビューを果たすと、その後はどんどんと映画に出演し、主演としても活躍しました。
藤岡弘の代名詞・仮面ライダーに!
1971年、チャレンジを続けてきた藤岡弘さん(当時25歳)に最高の瞬間が!
藤岡弘さんはお世話になった方に、あるオーディションに誘われました。
それは藤岡弘さんの代名詞「仮面ライダー」のオーディション。
見事合格し、仮面ライダー1号(本郷猛)になりました。
これが藤岡弘さんの人生を大きく変えることに!
「仮面ライダー」は最高視聴率30%の大ヒット、一気に大人気スター俳優に駆け上がりました。
その後は多くの映画やドラマで大活躍。
海外映画にも主演に大抜擢され、国際俳優の仲間入り。
今でも俳優やタレントなど大忙しで、2020年には長男・藤岡真威人さんも俳優デビューし、娘・天翔愛さん、天翔天音さん、藤岡舞衣さんも女優やモデルとして活躍中です。
さいごに
藤岡弘さんの若い頃はダンディ&カッコよかったですよね!
そして超極貧生活から代名詞の仮面ライダーになるまでの逆転ストーリーもカッコよかったですよね、
俳優になれたのは、お父さんのおかげでした。
幼少期、病弱だった藤岡弘さんを心配した父が武道を教え、そこから強い身体と不屈の精神が作られました。
ずっと鍛錬を欠かさず、それを自身の子供達にも教え、親子で大活躍。
これからも藤岡弘さんの活躍を祈っています!
それでは!
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